◆成顕寺別院 金胎菴 金色結社縁起◆
およそ七五〇年前、当地近くにあった真言宗金胎山 道塲寺の僧と、日蓮大聖人の高弟、日朗聖人の問答の ことがあり、これに日朗聖人が勝利し、道塲寺は日蓮宗に改宗し、成顕寺として、場所を小高い岡に上に移して一宇を建立しました。 破れた道塲寺の僧、桂傅阿闍梨と法傅阿闍梨は自害したため当時の村人により手厚く葬られ塚が建てられました。現在でもその一部が残されておりますが、近年の開発によりその風景も失われつつあります。 この状況を鑑み、旧道塲寺の僧の御霊を祀る堂宇の建立を発願し、令和四年八月に完成、令和五年一月には 日蓮宗門より、金色結社の公称を認可されました。 結社とは小規模寺院の名称であります。 お堂正面には久遠実成のお釈迦様を中心としたご本尊を一尊四士形式で勧請し、向かって左側に桂傅阿闍梨・法傅阿闍梨を始めとした旧道塲寺の僧の位牌を祀っております。また向かって右側には近くを流れる大堀川の水神さま、大堀河伯大善神を勧請し、日々近郷の人々の安寧を祈願する道場でもあります。
初世 日桓 述

◆金胎菴 金色結社縁起◆
およそ七五〇年前、当地近くにあった真言宗金胎山 道塲寺の僧と、日蓮大聖人の高弟、日朗聖人の問答の ことがあり、これに日朗聖人が勝利し、道塲寺は日蓮宗に改宗し、成顕寺として、場所を小高い岡に上に移して一宇を建立しました。 破れた道塲寺の僧、桂傅阿闍梨と法傅阿闍梨は自害したため当時の村人により手厚く葬られ塚が建てられました。現在でもその一部が残されておりますが、近年の開発によりその風景も失われつつあります。 この状況を鑑み、旧道塲寺の僧の御霊を祀る堂宇の建立を発願し、令和四年八月に完成、令和五年一月には 日蓮宗門より、金色結社の公称を認可されました。 結社とは小規模寺院の名称であります。 お堂正面には久遠実成のお釈迦様を中心としたご本尊を一尊四士形式で勧請し、向かって左側に桂傅阿闍梨・法傅阿闍梨を始めとした旧道塲寺の僧の位牌を祀っております。また向かって右側には近くを流れる大堀川の水神さま、大堀河伯大善神を勧請し、日々近郷の人々の安寧を祈願する道場でもあります。
初世 日桓 述

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